忍者はすごかった 忍術書81の謎を解く 感想④

第七章 忍びとは何か

名声を博すようでは一流ではない

よき忍者は抜群の成功なりといえども、音もなく、嗅もなく、智名もなく、勇名もなし。その功天地造化し、天地の春は長閑にして草木長生花咲き、夏は熱くして草木茂長し、秋は冷ややかにして草木黄ばみ落ち、冬は寒くして雪霜降り草木枯槁して根に帰る。 『万川集海』

優れた忍者は抜群の功を成し遂げるけれども、それは音もなく、臭いもなく、知恵者だと言われることもなく、勇者だとほめられることもないが、その功績は天地を創造するほどである。それは、天地の春はのどかで草木が伸びて花が咲き、夏は暑くて草木が繁茂し、秋は冷たくなって草木が黄色くなり葉が落ち、冬は寒くなって雪・霜が降り草木が枯れて根に帰るのと同様である。

これは、忍びの中でも優れて、ある程度実績を持った忍びに対して向けられた文章だろう。

忍びはあくまでも主君の補佐をするものであって、名声や地位を得ることが目的ではない。

そのようなものを得てしまったら、忍びに大事な「主君を見極め、主君に忠誠を誓う」ということができなくなってしまう。

加えて、忍びとして有名になってしまったら、正体もばれやすくなってしまうので、その忍びを雇ってくれる優秀な主君も少なくなってしまうだろう。

そして、忍びは「正体をバレずに任務を達成する」のが最終的な目的だ。

忍びとして有名になったら、「自分は有名になれるほど忍べない忍びです」と自分で言いふらすようなものだ。

忍者は名前を残すようでは、一流と言えません。有名な忍者として、しばしば百地丹波・藤林長門守・服部半蔵などが挙げられますが、実は名前が知られていないけれども、もっと重要な役割を果たした忍者がきっといたものと思われます。

もちろん、もう過去の人の話になってしまうので、どんな人が忍びだったかは推測できないが、それでも誰にも正体を明かされなかった忍びもいたはずだ。

あるいは、既に武士として歴史に残っているものこそが実は忍びであった、という可能性もある。

正攻法だけでは相手を落とせない

聖直侫曲用捨の事。言うは聖はその物事にさとく明徳なるを云い、直は律儀の類、侫は邪にして物にひがむ。曲は無理をいう類なり。侫は聖の裏、曲は直の裏なり。この四つの用捨あるべし。 『当流奪口忍之巻註』

「聖直侫曲」を取捨すべきこと。「聖」はそのことに関してよく知っていてすぐれた徳があることをいい、「直」は律儀な類、「侫」はよこしまでひがみ、「曲」は無理を言う類である。侫は聖の裏、曲は直の裏である。この四つの取捨をしなければならない。

忍びは「相手との信頼関係を結ぶために信頼されるような人になる」ということが「第一章 忍びの情報学」で説明されているが、すべての人間に正直に付き合っていたわけでもないらしい。

忍びは、「正しい者」「間違っている者」「まっすぐな人間」「曲がっている人間」の四つを時と場合に応じて使い分けていたのだ。

確かに、不正を働く人に正直でいたら上手く利用されるし、でたらめばかり言う人にまっすぐ付き合っていたら自分が疲れてしまう。

しかし、いい人に適当なことをいったら信頼関係も結べなくなり、まっすぐな人間に歪なことを教えたら嫌われてしまうだろう。

このようなことを避けるためにも、忍びには「人を見極める力」と「聖直侫曲を使い分ける力」が求められたのだ。

他にも、作戦を立てるときにもこの考えが参考にされていただろう。

なかなか敵の城に進入できないとき、武器や作成も立てていないのに正直に「自分は敵ですが城に入らせてください」なんて言ったら、まっさきに敵に捕まってしまう。

そんなときに「正直者」でいても意味がない。

このようなときは「正直な作戦」よりも「捻くれた作戦」のほうがよっぽど役に立つ。

もしかしたら、「忍びはどんなときでも正直者」という勘違いをした忍びに対して向けられた文章なのかもしれない。

穏やかな顔は奇計の基本

此の道を業とせん者は顔色をやさしく和らかにして、心底尤も義と理を正しくすべき事。 『万川集海』

この道を生業としようとする者は、とりわけ顔つきをやさしくやわらかくし、心では義と理を正しくしなければならない。

これは、「相手との信頼を結ぶための手っ取り速い方法」と「穏やかな顔はだまされやすい」という二つの意味を持っているように感じる。

人は、第一印象だけで、その人に対する評価が大体決まってしまう。

優しそうな顔つきだったら「優しい人なんだろうな」と思ってしまうし、怖い顔つきの人だったら「怖い人なんだろうな」と思われてしまう。

忍びが上手く一般人に紛れ込んでも、怖い顔つきをしていたら、一般人から情報を盗むことができない。

現代では、「ギャップ」というものがあるが、素早く情報を盗むのが目的の忍びは、わざわざ遠回りな方法で人との信頼を結ぶ必要がない。

それよりは、最初から穏やかな顔つきを練習して一般人に紛れ込んだほうが、よほど合理的な方法だ。

「穏やかな顔つき」というものは、昼に一般人に紛れ込んで情報を盗む陽忍にとって、とても役にたった知識だったのだろう。

反対に、穏やかな顔つきの人は無条件で信じやすいため、それに気をつけなければならない、という風にも見て取れる。

一般人はともかく、気軽に人を信じることが難しい主君や武士に対しては、このような意味になるのだろう。